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ポーランドで考えた2019年7月10日

この2月に家族でポーランドを訪れました。

「この時期にポーランド?極寒だね。何しに行くの?」と言われていたのですが、
実際に行ってみると、天気も良く少し暖かで気持ちよく町を巡りました。

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大戦で瓦礫と化した街を昔のままによみがえらせたワルシャワ旧市街、北海を望む美しい港町グダンスク、
日本で言えば京都のような歴史の町クラクフ…。
ドイツとロシアという大国に挟まれたポーランドは、実に数奇な運命を持った国ですが、
現代史ではナチスドイツのユダヤ人強制収容所が置かれたことでもその名が刻まれています。
今回の旅は、これまで行ったことのなかったアウシュヴィッツを訪れるのが大きな目的でした。

アウシュヴィッツはクラクフからバスで行きます。
唯一の日本語ガイド中谷さんに連絡をとり、指定の時間に訪れましたが、
待ち合わせの場所にはびっくりするほど大勢の日本人がいました。
もちろん周囲には日本人だけではなく、これまた行列ができるくらいの見学者であふれかえっていました。

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なぜポーランドに収容所が数多く作られたのか?
それはポーランドにユダヤ人が多くいたことが理由の一つでした。
ではなぜ多くのユダヤ人がポーランドにいたのか?
それはポーランド人が懐深く、ヨーロッパの国々からやってくるユダヤ人を受け入れていたからだと言います。


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実はもう10年以上前に、取材でポーランドを訪れたことがあります。

その時はゴスティンという町にソプコヴィアックさんという方を訪ねました。
ソプコヴィアックさんは小さいころナチスドイツに町を蹂躙されました。
広場で処刑される人々の様子を、涙を流しながら見つめていたと言います。
そして自身もザクセンハウゼン収容所に送られました。

この番組は、爆撃で破壊され瓦礫のまま放置されていたドイツ・ドレスデン聖母教会の再建をテーマにしたものでした
(「よみがえった聖母教会 ドレスデン60年後の和解」NHK・BS1)。
ソプコヴィアックさんは、ドイツ人の魂と言われた聖母教会再建のために、
ドイツの戦争被害者でありながら自ら協力を申し出ていたのです。


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忘れられない場面があります。
再建記念式典の前日、ソプコヴィアックさんは教会再建に奔走した神父、ドイツ人のホーホさんと会うことになります。
場所はソプコヴィアックさんの従弟を含む多数のポーランド人が処刑されたミュンヘン広場でした。
そこには犠牲となった方を追悼する石碑がありました。

ソプコヴィアックさんとホーホさんは、お互いに言葉少なに挨拶をかわすと、それぞれが石碑に献花しました。
しばらくの沈黙の後、ホーホさんがソプコヴィアックさんに手を差し伸べました。
ソプコヴィアックさんは静かに握り返しましたが、こう言います。

「これで終わりではありません」

ホーホさんはこう言葉を返しました。

「そうです、終わりません、ずっと。ただ、こうして小さな和解の徴を刻むことが出来るだけです」


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今年2月に訪れたアウシュヴィッツの空は晴れ上がり、収容所の建物は実に整然と並んでいました。
整然と規律正しく殺戮を行ってゆく生真面目さが恐ろしさを増大させます。
崩れた建物は浄水場だったと言います。
彼らは人間を家畜のように殺しながら、環境に配慮し近くの川を汚さないよう浄水場を作っていたのです。
不真面目さも生真面目さも度を超すと醜悪なものに姿を変えるのだと思います。

ソプコヴィアックさんはあの時、なぜ教会の再建に協力したのか?
「次世代のためにいつまでも憎しみあってはいけない」、そう語っていたように思います。
しかしそのことの本当の意味合いを私は分かっていなかったかもしれません。
その後自ら提案し、憎しみと和解をテーマに番組を作りました。

北アイルランド紛争のテロリストとテロの被害者遺族が共に旅をし、
語り合うという取り組みを撮影したものです(「憎しみを越えられるか~北アイルランド紛争・対話の旅~」NHK・BS1)。
その時、主催者のフルウールトさんはこう語っていました。

「相手を許せなくてもいい、でも和解をしてほしい。それが希望であり目標です」

許すことが出来ないのに、和解することが可能なのか?
私はなんだか腑に落ちず何度も聞いてしまったことを覚えています。
そして番組を制作した後ようやく気づいたのです。
許す、許さないは自分たちの感情の問題だが、和解は自分たちがいなくなった未来のためなのだということ。
さらに和解するとは、許すことの出来ない深い悲しみを抑え込んだものだということを。

ソプコヴィアックさんの握手、そして「これで終わりではありません」と言った言葉の本当の意味。
番組を作って何年もたってようやく理解するのだから情けない話ですが、
逆に言えば番組を作り続けることのプラスの意味もそこに在るのかもしれません。

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家族をテロで亡くした男性は、その旅の中でテロリストだった男性とほんの少し言葉を交わす機会があり、
旅から帰って妻にこう話しました。
「怪物じゃなかったよ」
小さなことから少しずつ、かたくなな何かが溶けていけばいいと感じます。
決して溶けることがない何かが、心の中に残っているにしても。

アウシュヴィッツを案内していただいた最後に、一つだけ中谷さんに質問しました。
「なぜここを保存しようということになったのですか?」
中谷さんは簡潔にこう答えました。

「生き残ってここを出た人たちが、強く運動したのです。」

これもまた、未来のためなのだと思います。




伊槻雅裕